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东方外来韦编/2019 Spring!/ZUN访谈

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幻想神主ZUN、
「神霊廟」「心綺楼」を振り返る
幻想神主ZUN
回顾「神灵庙」「心绮楼」
恒例の過去作品特集を振り返るインタビュー。
「神霊廟」で迎えた、とある転換点とは一体……。
惯例的回顾过往作品特辑的采访。
在「神灵庙」迎来的某个转折点到底是……
——
「神霊廟」と「心綺楼」は、「風神録」から続く新しい流れの総まとめ的なポジション、ということなのでしょうか。
神灵庙」与「心绮楼」,可以说是对于从「风神录」开始的,新的流向的一个总结吧。
ZUN
「心綺楼」と「神霊廟」はコンセプトも生まれた経緯もまったく別で、タイミング的にたまたまそうなっただけ。「神霊廟」のときこそ、このまま東方を作り続けるのかどうかという転換期の作品でした。「紅魔郷」から三作、「風神録」からも三本作ってひとまとめになるイメージだったので、じゃあ次はどうしようかって。「神霊廟」から大きく言えることは、「ここから◯部作です」というのが無くなったこと。いつまで続けてもいいし、いつ終わってもいいという体制になったんです。話としてのまとまりが無くなったところは残念かもしれませんが、続きは作りやすくなりました。
「神灵庙」与「心绮楼」的主旨和诞生的原委都完全不同,只不过时机上恰巧变成了那样而已。「神灵庙」的话,才是我在决定要不要继续制作东方的转型期中诞生的作品。从「红魔乡」开始是三部,再从「风神录」开始也是制作三部再告一段落的想法,那么我就想接下来该怎么办。可以说从「神灵庙」开始的一个重要的事情就是,已经没有“从这里开始是几部曲”这种说法了。成为了可以一直继续下去,也可以随时结束的体制。作为故事缺少了一些总结可能是有些遗憾,但这样就更加容易制作续作了。
——
これまでだと三作まとめてつくることが念頭にあったのが、無くなったと。
也就是说以往都是以三部为一个整体制作,从这里开始这个想法就没了。
ZUN
これまで登場したキャラクターを活かして次回作を作る方向性だったのが、それが無くなったと言ってもいいかもしれません。一本ずつ出していって、それがどう繋がっていくのかは分からない。なぜそう変えたかと言えば、東方を続けるという選択肢を取ったからです。
以往的大方向都是灵活运用既有的角色来制作下一作,可以说这个大方向已经没了。一部一部地去制作作品,并不知道这些会怎样联系起来。要问为什么要变成这样子,是因为我选择了继续制作东方这个选项。
——
三作ずつ続ける、という選択肢はなかったんですか。
没有再接着三部三部制作的选项了吗。
ZUN
結局繰り返しだからね、三本作ったらまた悩むことは自分で分かってたし、それで悩むのが嫌だったからなんです。だから「神霊廟」と「永夜抄」の後に出た「花映塚」は生まれ変わりがコンセプトとして選ばれてる。それまでの作品のことは忘れて、突然野に放たれた作品というイメージです。この後でどういう作品が出てくるかは、僕にもわからない。
历史总是重复的,我自己也明白再制作三部以后我又会纠结这个问题,我不想再这样纠结了。所以「神灵庙」以及「永夜抄」之后推出的「花映塚」都是以转生为主题。这些都是忘记以往的作品,突然被放生野外的作品的印象。在这之后会诞生什么样的作品,我也不知道。
——
そろそろ「風神録」クラスの整理が行われるかと思ったのですが。
我原以为会有「风神录」级别的对作品的重新整理。
ZUN
整理もなにも、いま突拍子の無いものを作ったとしても、もう作品が野に放たれたみたいな状態になってるから、何が出ても「そういうものかな」ってなってしまうんです。そうでもないと番外編的な作品もやりにくいし。
根本不用整理,就算我现在制作了一个突发奇想的作品,我的作品也已经是被放生野外的状态,所以不管出了什么都会给人“可能就是这样吧”的感觉。要不是这样的话番外篇定位的作品也很难出了。
——
とはいえ「深秘録」から続く流れは存在してますよね。
不过从「深秘录」开始的剧情流向倒是一直存在。
ZUN
黄昏さんと一緒に作っている作品はそれぞれ繋がりがちゃんとあるんですが、僕が単独で作っているやつはぜんぜんだね(笑)。ひとつひとつに別個のテーマがあって、それに沿った作り方になっている。「神霊廟」は生まれ変わり、再生、やり直し。だから「靈異伝」から「霊」の字をタイトルに持ってきている。「風神録」は「封魔録」から字をとって、という感じにだんだん字をとってくるタイトルをさかのぼっていって、自分としても初心に帰るという意味付けなんです。転換期というほどではないけれど、表に出ない部分ではそういう選択があったんですね。昨今はどちらかというと一番いいタイミングでやめたほうがいい、みたいなブームがあるかもしれませんが……(笑)。実際できるかというと、なかなか難しいんです。
黄昏一起制作的作品剧情都是有连续性的,但我单独制作的作品已经完全没了(笑)。每个作品都有单独的主题,制作都是按照这些独自的主题。「神灵庙」是转生、再生、重来。所以我从「灵异传」里取了“灵”字放在了标题里。「风神录」则是从「封魔录」里取了字,像这样,逐渐回溯这些取了字的作品,对于我也有一种回归初心的意义。虽然没到转型期那种程度,但在幕后确实做了这样的抉择。虽然最近有一种“见好就收”的潮流……(笑)。但要说能不能真的停止制作,其实是很难的。
——
ちなみに、そこで東方をやめてたらどうなってたんです?
顺便,要是在那里决定不再制作东方了的话现在会是什么样?
ZUN
そりゃあ居酒屋ですよ(笑)。なんて言いつつ、自分ができる事なんて限られてるんだから結果的にはまたゲームを作ってるような気もしますけれどね。でも「風神録」のときに悩んだのは、別のジャンルのゲームを作ったとしても東方が流行っているうちは「東方を作った人のゲーム」と色眼鏡でしか見られないし、それがプラスになる気がしないんです。だから、じゃあジャンルはやっぱりシューティングにしようって別のオリジナル作品を作ったら、結果「東方」になっちゃうんだろうなって。
那肯定是开酒馆了(笑)。虽然嘴上这么说,但自己能做的事情还是有限的,所以感觉最后可能还是会去制作游戏。不过我在「风神录」的时候纠结的是,就算我制作了别的种类的游戏,只要东方还在流行,这个游戏就会被人以“制作东方的人制作的游戏”这样的有色眼镜看待,我不觉得这会有正面的影响。所以,就算保留射击游戏这个类别,如果制作了别的原创作品,最终感觉还是会变成「东方」。
——
ああ……。
啊……
ZUN
それこそ一体なんのために東方をやめたのかということになって、しかもその後にオリジナルと東方を接続しようとしたりして、世界観が破綻してくる(笑)。ぜんぜん別のことをやるかもしれないけれどね、ということを考えていた時期が「風神録」で、とりあえずあと三本ほど作っていくかと。「神霊廟」のときは、東方を続けていくとして、作り続けるとはどういうことかと。ゲーム以外のやり方もあるだろうし、大きなストーリーや展開に変えていくとか、いろいろな考え方があった。でも大きな構想を考えるのは疲れるし、その通りには行かないなと。だから世界自体を「野に放つ」ことにして、僕としては気楽さが出てきたんです。
那样问题就变成了我到底为了什么而不再制作东方,而且之后我可能还会尝试将原创作品和东方联系起来,世界观就会出现漏洞(笑)。要是做完全不一样的事情,说不定还会有不再制作东方的意义,我在「风神录」的时期一直在想这样的事情,最后决定总之再做三部。「神灵庙」的时候我在想,要是继续制作东方,到底什么才叫继续制作。我也可以不局限在制作游戏,也可以让剧情发展变得更大更广,总之有各种各样的想法。不过进行一个宏大的构想很累,而且也觉得发展可能会不尽如人意。所以我将东方的世界本身“放生野外”,我也开始多了一份轻松。
——
大きくなった作品を一人で抱えていく大変さ、でしょうかね。
这,就是一个人去承担壮大起来的作品的辛劳吧。
ZUN
どんなシリーズにもある悩みだと思うんです。たとえば「ドラクエ」がロトのシリーズから天空のシリーズに変わって、その後は作品同士の世界を繋げないほうがいいってなったと思うんですよ。「11」は……繋げたというよりも記念碑みたいな感じで。
我觉得这是在任何系列作品中都存在的烦恼。就比如说「勇者斗恶龙」从洛特系列变成了天空城系列,在那之后可能是觉得不把作品之间的世界联系起来比较好。至于「11」……比起联系起来,不如说是一种纪念碑的感觉。
——
黄昏さんとの作品については繋がっているわけですが。
与黄昏一起制作的作品倒是相互有联系的。
ZUN
開発にはいろいろなリソースが必要なわけで、「心綺楼」からはメインとなるシステムもキャラクターを動かすドット絵も新しく制作しなおしたから、それをしばらく使っていくことで以降の作品制作のリソースを抑えていくんです。そうじゃないと新しい作品を作れなくなっちゃうからね。シューティングだったらたかが知れてるんだけど。だから前作と関連してる、ということにしないとキャラクターを変更しなきゃいけなくなるし、それはやりたくないってことになる。ストーリーはもちろん毎回違うけど。
毕竟开发游戏需要种种资源,从「心绮楼」开始主要的系统和角色的点绘都是重新制作的,所以需要使用这些一段时间来减少制作之后的作品所需的资源。要不然就没法制作新作品了。要是射击游戏倒是无所谓。因此要是不和前作联系起来就需要变更登场角色,这是不太想做的。当然剧情每一作都是不一样的。
——
シューティングのほうで、システムが抜本的に変わったと言えるタイミングってありますか。
在射击游戏中,有什么可以说是系统发生了显著变化的时机吗。
ZUN
「紅魔郷」のときにスペルカードシステムを入れたくらいで、あとは無いですね。もちろん最上に優れたシステムがあるとしたらそれを使い続ければいいわけだけど、東方としては物語とかキャラクターとか、いろいろ含めてトータルの雰囲気、世界観を大事にしているので、どんなシステムもその世界観にそぐわなかったら意味はないんです。たとえばパズルゲームが入ってくるとしたら、そういう雰囲気にしなきゃいけないし、UFOを集めるんだったらそういうお話が前提になってくる。システムにのみ特化していくとパズルゲームみたいな方向になるのかもしれないけれど。
也就是在「红魔乡」中加入了符卡系统,在那之后就没有了。当然,如果有最优秀的系统自然只要一直使用那个系统就好了,但东方很重视故事、角色等等总体上的氛围和世界观,所以不管什么样的系统,如果不符合这个世界观就没有意义了。就比如说如果要制作东方的解谜游戏,那就必须要有东方的氛围;如果要收集UFO,就会有相应的剧情作为前提。虽然感觉如果只特化游戏系统,可能就会成为解谜游戏那种方向。
——
なるほど。
原来如此。
ZUN
ゲームがどういう考えで作られているのかを考え直すのも、ゲーム制作の面白い部分でさ。「神霊廟」では特にそれが面白かった。ゲームを作るとはなんだろう、なにをゲームで遊んでいるんだろう、なにを喜んでるんだろう。みんなが同じものではない、という結論はすぐに至るんだけど、じゃあ東方はなにを見てるんだろう、といったようなことを「神霊廟」開発のころはよく考えていました。「キャラクターが生まれ変わるんだから、自分も生まれ変わらなきゃな〜」くらいに考えていて、実際のところそこまで変わりませんでしたけど、でも再確認はできたんじゃないかと思う。
重新思考游戏是基于什么样的想法制作的,也是游戏制作过程中有趣的一环。「神灵庙」的这个过程尤为有意思。制作游戏到底是什么?游戏玩的是什么?玩游戏到底为了什么而感到开心?虽然很容易就能得出每个人的答案都有所不同的结论,那么东方的焦点到底是什么?开发「神灵庙」的时候经常在想这样的事情。“既然角色要重生了,那么我也得重生一下啊~”我当时是这样想的,虽然最后实际上没有发生那么大的变动,但我觉得我得以重新确认了这些事情。
——
安心したような、そうでもないような……。
感觉有点放心了,又感觉没有……
ZUN
ちょうどこのころスマホゲームも本格的なものになってきて、ゲームとは何かについて考える人は多かったと思います。そういう人たちの一部はインディーズに行ったりしてね。今はわざわざインディーズなんて言わないようになった。みんながゲームについて思うことがいっぱいあったから、それがいまの立ち位置に繋がっているんです。
正好这个时候智能手机游戏开始大规模流行了,我想很多人都在思考游戏到底是什么。这些人当中有一部分可能去了独立游戏。现在则没有人会特意去说独立游戏这个词了。大家对游戏都有各种各样的想法,这些都和现在的立场有直接联系。
——
そうかもしれませんね。
可能是这样。
ZUN
「神霊廟」の開発中には東日本大震災が発生して、いろいろなことを考え直すタイミングでもあったんです。例大祭が延期になって体験版が頒布できなかったり。もちろん内容は全く関係していないんだけど、いろいろなことが重なった感慨深い作品ですね。
「神灵庙」的开发过程中发生了东日本大震灾,是一个重新考虑各种各样事情的时机。比如说由于例大祭延期导致无法发布体验版等等。当然游戏的内容和这些并没有联系,但这是一个各种事情叠加在一起,令人感慨深刻的作品。
——
「心綺楼」について、今振り返ってどうですか。
关于「心绮楼」,现在回顾起来感觉如何。
ZUN
システムについては黄昏さん主導なので僕から言うことはないけど、システムが変わったからって僕がやることは特に何も変わらないっていうか。あえて言えば、よりストーリーをどうするかに焦点があたるんですが、登場キャラクターは僕が自由に選べるわけじゃないし。当初は「さとりを出そう」みたいな話があったけど、対戦ゲームとしてどうやって表現したらわからなくてさ。「さとりモード」みたいなものを考えていたんだけど、上手くいかなかったり。
系统都是黄昏主导的,我没有什么可说的,但感觉就算系统变了,我干的事也没什么变化。要说的话,焦点更加倾向于如何设计剧情了,但我并无法自由地选择登场角色。当初有过“让登场”的想法,但作为对战游戏不知该如何表现这个角色。虽然曾经考虑过类似“觉模式”的东西,但并不顺利。
——
なるほど。
原来如此。
ZUN
「心綺楼」も、意図せず生まれ変わり的な作品になったので、なんでもできちゃったから逆にいろいろ詰め込みすぎて複雑になっちゃった。でも、アイデアを出してそれが実装されていくっていう流れは、制作することの楽しさがすごくありました。設定や物語とシステムがすごく近い場所にあったし。もちろん反省点としては、システムを単に盛るだけでは面白さが生まれるわけではない、ということ。今思うと、もっと「宗教」に絞ったものにしていくべきだったし、その経験は後に続く作品に活かされてる。そういうのは経験しないとなかなかわからないし、経験できてよかったと思います。
「心绮楼」无意之间也变成了重生一般的作品,结果因为可以做任何事情,反倒在游戏里加入了太多内容,导致游戏过于复杂了。不过,提出一个点子,再把这个点子加进游戏这个过程,充满了制作游戏的乐趣。设定、故事和系统的联系也非常密切。当然需要反省的是,单单丰富系统并不会让游戏变得有趣。现在想来,这部作品应该更加聚焦在“宗教”上,这个教训也被应用在了之后的作品当中。这种事情不体验过一遍是不知道的,我觉得能够得以体验是个好事。

注释